共存することの難しさ
| 俺には、俺の父親の両親にあたる祖父(じいちゃん)と祖母(ばあちゃん)がいる。 月に1回、じいちゃんとばあちゃんの家に行くことが、俺の習慣となっている。
今日もそんな訳で、俺は久しぶりにじいちゃんとばあちゃんの住んでいる家に行ってきた。 前に、俺達家族も住んでいたことのある、あの家に。
1ヶ月ぶりに会うじいちゃんとばあちゃんは、とても嬉しそうな様子で、 俺の為にごちそうを用意してくれていた。 1人ではとても食いきれそうにない量の、テーブルいっぱいに並んだ食事。 毎度ながら「ちょっと多すぎだよ・・・」とは思いつつも、その好意を嬉しく思う。
食事をしながら、俺に話しかけてくるじいちゃんとばあちゃん。 「学校は楽しいか?」とか、 「勉強頑張ってるか?」とかの、 ごく普通の、他愛もない会話。 しかし、それだけでじいちゃんとばあちゃんはとても満足そうだ。
時間は過ぎ、帰る時間がやってきた。 「俺、そろそろ帰るわ」と俺が言うと、 「それじゃ、これを持って帰りなさい」と、小遣いと手土産をくれるじいちゃんとばあちゃん。
「それじゃ、またくるね」 「おう、またいつでもこいよ。えいじ、帰り道に気をつけて」 そう会話を交わして、じいちゃんとばあちゃんの家を後にする俺。 別れ際に見たじいちゃんとばあちゃんの顔は、心なしか寂しそうだった。
今では、月に1回しか会わない、じいちゃんとばあちゃん。 けど、昔は毎日顔を会わせていたんだ。 俺達家族も、あの家に一緒に住んでいたんだから。
けど、考え方の食い違いにより、嫁姑問題勃発。 もう一緒に住むことはできないと感じた俺達家族は、あの家を後にすることとなった・・・
あの家は、じいちゃんばあちゃんと、俺の両親が一緒に住むことを前提に、 お互いにお金を出し合って建てた家。 だから、普通の家に比べて大きかったし、なんというか、豪華な和風の家だった。
けど、それだけで、実際には、お世辞にも住み心地のいい家とは言えなかった。 部屋と部屋の仕切りは、ふすまのみという、 一世代昔の、プライベートの確保されていない住宅構造。 俺の場合、隣の部屋がじいちゃんとばあちゃんの部屋だったということもあって、 友達を家に上げるのも容易なことではなかった。 正直、俺にとっても、住み心地のいい家ではなかった。
しかし、それ以上に、新築の家ということもあって、 「家の中でたばこを吸うな」 「毎日きちんと掃除をしろ」 と、ばあちゃんが口うるさく俺の母に言っていたのを、今でも覚えている。 じいちゃんとばあちゃんは、家が汚れるのを、何よりも嫌っていた。
「この家は、綺麗に保つためにあるのですか? この家は、他の人に自慢するためにあるのですか? そんなためのだめに存在している家というのなら、 私は、こんな形だけの、住み心地の悪い家なんか、いらない」 いつの日か母の怒りは頂点に達し、母はそう反論した。 俺が見ていた限り、別に母は掃除をしなかったり、家を汚したりはしていなかった。 ばあちゃんの、母に対する要求が厳しすぎたのだ。
「あぁ、もういいよ。それなら、今すぐにでも家を出ていって!!」 「言われなくてもそうするつもりです!!」 結局、最後まで、母とばあちゃんが仲直りすることは、なかった。
嫁姑問題の時に、一番問題なのが、 「夫が、妻と自分の母親、どちらを選ぶか」ということだ。 しかし、俺の父は迷わず母を選び、最後まで母のことをしっかりと支えてくれた。 「いいよ、もうお前らのことを親とは思わない」そんな感じで。 例え今回のことがきっかけで自らの親との縁を断ち切ることになってしまおうとも、 父は、今ある家庭、俺達家族を選び、守る道を選んだのだ。 母は後に俺にこう言った。 「お母さんのことをいつも最優先に考え、守ってくれるお父さんだからこそ、 私はお父さんのことが今でも大好きなのよ」
引越し先も決まり、あの家を後にしようとする俺達。 別れ際に、じいちゃんとばあちゃんはこう俺に言った。 「えいじはこの家に残ってもいいんだよ?いつでも戻ってきてもいいんだよ?」 「またいつでも遊びにきていいし、泊まりにきてもいいからね」 そう俺に言うじいちゃんとばあちゃん達の顔は、やはり心なしか寂しそうだった。 俺は、少しだけ頷いて、車に乗り込み、その場を後にした・・・
「もう、戻ってくる訳なんか、ないじゃない・・・」 車の中でそうつぶやく母。 俺もそう思った。あの家にもう未練はない。あの家にはもう戻れない。 けど、あの家に2人残してきたじいちゃんとばあちゃんのこと、それだけが気掛かりだった。 2人だけで大丈夫だろうか?寂しくないだろうか? 別れ際に見せたじいちゃんとばあちゃんのあの寂しそうな顔を思いだす度に、胸が締め付けられた。
母は俺に対してこう言った。 「あの人達はたくさんいる孫の中でもあんたが一番可愛いって言ってたわ」 「あの人達は、考え方が古いから、趣味もないし、仕事だけしかすることがないのよ。だから・・・ あの人にとっては、あんたの存在が生きがいなのかもしれないねぇ。 いくら嫁が憎くても、孫が憎いなんてことは絶対無いから」
そんな風に考えたことなんて、一度もなかった。 俺が、じいちゃんとばあちゃんの、生きがい? 俺がそばにいることが、じいちゃんとばあちゃんにとっての、幸せ? あの寂しげな表情は、そういう意味だったのか?
そう思うと、思わず涙が出てきた。 なんで、喧嘩なんかしたんだよ・・・ なんで、俺の母を傷つけ、俺達家族を傷つけたんだよ・・・ いつまでも仲良くすれば、いつまでも一緒にいられたんじゃないのかよ・・・ 考えれば考える程に、涙が止まらなくなってくる。
例えるなら、じいちゃんとばあちゃんにとって、俺と一緒にいる時間というのは、 俺が大好きな人と一緒にいる至福の時のような幸せを得られる時間なのだろう。 そんな気持ちを知りながら、その気持ちを無視することなんて、俺には決してできない。 俺は、月に一回だけだけど、会いに行くことを、いつしか決めた。 それ以来、毎月、じいちゃんとばあちゃんの家に、俺は通っている。
今では、ある程度仲直りもして、 俺達家族とじいちゃん、ばあちゃんとの交流もほどほどにある。 しかし、それでも、もう俺達があの家に戻ることは、決してないだろう。 どんな理由であろうとも、一度犯した過ちは、二度と元には戻せないのだから・・・
人の考え方は千差万別。 それ故、意見の食い違いによる喧嘩も絶えない。 仲良く共存する、それは簡単なようで難しいこと。 喧嘩をして、仲直りできずに、絶交したり、実の親に勘当されたりした人もいるだろう。 しかし、本当は、みんなそんなつもりなんてなかったはずなんだ。 本当は、みんなずっと仲良くやっていけると思っていたはずなんだ。 それなら、一体何が間違っていたのか・・・それは俺にもよく分からない。 俺が思うのは、一番大事なのは「相手の立場になって、気持ちになって考えること」。 「こういうことを言ったら怒るかも」とか、 「こうしてあげたら喜んでもらえるかも」とか。 常に相手の気持ちを読み取り、 相手に対しての思いやりの気もちを忘れずに接する必要があると俺は思う。 喧嘩をした時も、ついつい相手の非に目がいってしまいがちだけど、 それでも、冷静になって、落ち着いて、まずは自分のことから振り返ってみよう。 「自分に悪い点はなかったか?」とか、 「自分にだってなんらかの非があったからこそ喧嘩になったのではないのか?」とか。 自分が正しい!!お前が間違っている!!という考えを捨て去り、「自己否定」をすることから始めよう。 そして、それでも自分が正しいと思ったとしても、 相手の言い分に反論することなく、相手の意見を自分の中に取り込み、もう一度冷静に考えてみよう。 お互いに冷静さを失い言い争うから、喧嘩はいつまでたっても終わらないし、仲直りもできない。 最後まで冷静に、クールに、自分とは違う相手の考え方を素直に受け入れ、 相手の意見に誠意を持って答えよう。 私達は、お互いの考え方の違いを怒ることなく、否定することなく、 素直に自分の中に受け入れることで、始めて仲良くできるのではないか? 少なくとも俺はそう思っています。
願わくば、皆さんが俺達家族と同じような出来事に遭わないように。 願わくば、皆さんが喧嘩なんてすることのなくいつまでも仲のいい友人、恋人、家族でいられますように。 心からお祈り申し上げます。 |