マジョリティーとマイノリティー
| 皆さんは、マジョリティーとマイノリティーという言葉をご存知ですか? マジョリティーとは多数派、 マイノリティーとは少数派の事を指す言葉なのですが、 俺は、そんな少数派、マイノリティーについて、いつも考えている事があるんです。
マイノリティーは、非常に弱く、苦しい、弱者の立場にある、と。
マイノリティーの対象を広い視野で考えてみると、障害者、オタク、引きこもり、イジメられっ子等、 普通の人とはどこか違う身体的、あるいは精神的特長を持つ人が挙げられます。 思いませんか?いずれも、厳しい立場に立たされている人達ばかりなんです。 最も、全てのマイノリティーがそうであるとは一概には言えませんけど。
そういった人達に対して、マジョリティー(多数派)の人達は何かと同情したり、偏見の目で見たりします。 それは、本当に正しい事なのでしょうか? そういった考え方は、少なからず「差別」であると俺は思うんです。 だから、偏見なんて論外、同情もそれだけじゃマイノリティーを救う事なんて出来はしないんです。 そもそも「私達と違うから可哀想」という考え方自体、 同じ人間である事をさりげなく否定している多少なり差別的な考え方だと俺は思いますし。 マイノリティーは、好きで少数派となった訳じゃないんです。 だから、偏見の目で見られる事を何よりも嫌い、恐れるんです。 マジョリティーの人達と何も変わらない、普通の人間として見てもらいたい一心なんです。 だから、本当に欲しいのは同情じゃないんです。 マイノリティー、即ち弱者としての立場におかれている人達が弱者でなくなる、 そんなステージを用意して欲しいんです。
俺自身、自分はマイノリティーであると認識しています。 人付き合いが苦手で話し下手で、そのせいで今までどれだけ辛い思いをしてきたのか。 言葉では言い表せないくらいに、沢山、沢山。 そんな俺に対して周りの人々はこう言います。 「なんか、えいじ君って怖そうだし、話しかけても話弾まないし、つまらないよね」 「えいじ君が一人で寂しそうにしてるから、可哀想だから仲間に入れてあげようか?」 それを聞いた時には、俺の人格そのものが否定されたのではないかと思いました。 つまらないから、という理由で、少数派な俺の性格を否定しようとする、その言葉に。 可哀想だから、という理由で、嫌々少数派な俺を迎え入れようとする、その言葉に。 それは、本当に正しい事なの?俺は皆と何が違うの?何が可哀想なの?と。 絶対、そんなの認めない。俺はただ皆と仲良くしたい、それだけなのだから。 そんな事を言う人間なんて、俺は絶対認める事なんて出来ないんです。 だから、こんな俺に対して、何の偏見も、同情も抱かずに、 普通に友達として接してくれる今のクラスメート達が、俺は大好きなんです。
マイノリティーが弱者でなくなる、そんなステージを用意して欲しい、と先程俺は言いました。 法律の制定や、障害者用の物理的なバリアフリーも、確かに大事ではあるし、 喜ばしい事ではあるとは思うんです。 でも、俺が一番必要であると思うもの、それは、「心のバリアフリー」なんです。 マジョリティーもマイノリティーも、同じ人間として同じステージに立って、 共に理解し合い、尊敬し合い、支え合いながら生きていく、そんな社会なんです。 心のバリアを取り払い、皆が笑い合って共に生きていける、そんな社会を俺は夢見ています。
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